わくわくアラスカ紀行

アラスカ、ばり寒い

台風一過

 


窓ガラスを勢いよく雨が叩く。どこか遠くで何かが転がるような大きな音がした。窓から見える空はおどろおどろしい灰色で、渦を巻くような雲だった。

今朝方、都内に上陸した台風は大型で、現在破壊の限りを尽くしながら北へと抜けていこうとしている。本来ならこの進路は通らなかったのだが、今朝になって突然の進路変更となり、都内は大混乱だ。昨日、おとといの快晴が嘘のように、窓の外は世界の終わりと言った様相だ。

私は温くなった珈琲を一気に飲み干して、ノートパソコンを軽快に叩いた。文字列が増えては消え、増えては消えを繰り返し、結局のところ、差し引きゼロのままになった。

「奈津実君。君ね、人の事務所でカタカタカタカタ。迷惑だとは思わないのかい」

刑部禅一郎は革張りのソファーに寝転がって、ぷかぷかと煙草を吹かしている。ゆったりとした白いシャツにテーパードのかかったスラックスを履き、その長身をソファーから投げ出している。そんな不安定な体勢のまま、器用にも不機嫌そうに私の方を睨みつけている。

「仕方ないじゃないか。締め切りが近いんだ。それに客も来なければ、外はこの大荒れの台風様だぜ。僕のカタカタなんて気にならないだろう」

「台風のゴウゴウはね、風情があっていいんだが、君のカタカタはね、どうも不快なんだ。情緒もへったくれもありゃしないよ」

私は不満げに睨み続ける10年来の友人を無視して、再びノートパソコンに目を落とした。進捗は芳しくない。締め切りに間に合わないことはないだろうが、それでも、ギリギリのスケジュールになることは明らかだ。今夜が勝負どころと言ったところか。

「あー、君、無視を決め込んだね。誰が君のためにこの事務所を小説執筆スペースとして貸してあげていると思っているんだ。そうさ、僕さ。この僕だぞ。感謝こそされど、無視なんてされる覚えはない。この厚顔無恥め」

刑部は足をバタつかせて、不満を露わにした。子供のような奴だ。溜息をつきながら、刑部のもとに近づく。

「なんだよ、どうかしたのか」

「退屈なんだ。構ってくれ」

「もう30近いくせに何を言っているんだ。ほら、テレビでも見ていろ」

私はローテーブルに置かれたテレビのリモコンを操作し、ワイドショーを付けてやった。ワイドショーからは都内で多発する連続通り魔の情報を伝えていた。昨夜、また被害があったらしい。刑部は口を尖らせて「つまんないなあ」とブツブツ言っている。

私は大きく伸びをし、再びノートパソコンに向かい合った。また、外から何かが転がる大きな音がした。窓からは「刑部探偵事務所」と馬鹿馬鹿しく印字された看板が見える。暴風に晒され、情けなく揺れている。剥がれやしないだろうな。少し、心配になった。

キーボードを叩きながら、綺麗に整頓された事務所を眺めた。白い壁。ファイルや書類、書籍がびっちりと並べられた本棚。冷蔵庫。煙が登る灰皿が置かれたテーブル。テレビ。そして、刑部が寝転がるソファー。

驚くほどに簡素な事務所だ。事務所と言うくらいならもう少し飾り付けてもいいだろうが、それは、ここが探偵事務所だからという理由で説明が足りるかもしれない。

刑部探偵事務所。

私の大学時代からの友人、刑部禅一郎が経営している探偵事務所。普段は猫探しや浮気調査のような世間一般的な探偵業を適当にこなして、生計を立てているが、偶に捜査に行き詰まった警察関係者から依頼が入る少し珍しい探偵事務所だ。

そうなったのは、この自由気ままな刑部禅一郎という男の人となりに原因がある。傲慢不遜。破天荒。クソガキ。自由人。天上天下唯我独尊。刑部を評する言葉たちである。

大学時代から事件があらば、素人のくせに我が物顔で現場に乗り込み、しっちゃかめっちゃかにかき回し、それでちゃっかり事件を解決してしまう。そんな刑部の評判(悪名)は広がり、いつの間にやら名探偵と呼ばれるまでになっていた。

私は当時から友人としてその被害を被ってきた。今は彼が解決した事件を脚色し、推理小説として出版する売れない推理小説家である。自宅が近いこともあり、こうして月に数回、顔を出しにくる。

「ねえ、奈津実君、君の小説。今回はどんな展開なんだい」

刑部はテレビから視線を逸らし、大きく欠伸をした。もう飽きてしまったらしい。

「今回はニューヨークへ旅行へ行った探偵がね、連続絞殺事件に直面し、金髪美人とのアバンチュールを楽しみながら格好良く解決するのさ」

私は今作の大まかな設定を伝えた。私から話を聞くと、刑部の顔はみるみる曇っていった。

「ニューヨークだって?君んとこのバカ探偵には荷が重そうだよ。駄目だ駄目だ。あんな間抜けには無理だ。だいたい、彼は英語がてんで駄目な筈だろう?シリーズ2作目にそう書いてあったよ」

「何?それは本当か?」

刑部の言葉に手の動きが止まる。

「おいおい。自分の小説の設定すら忘れちゃっているのか、この大先生は。大御所だねえ。担当さんに迷惑がかかるよ、いっそ筆を折りたまえ」

嘲笑うように刑部は両手をあげた。私は立ち上がり、本棚までツカツカ歩いて行った。そこから、丁寧に分けられた私の作品の2作目を取り、パラパラとページをめくる。

「バス乗り場のシーンだよ」

「なになに?『前の席の外国人が何か話しているが、私には英語がてんで理解できない。隣に座る坂本に通訳を頼んだ』本当だ…!なんだこの野郎。探偵のくせに英語もできないのか。馬鹿野郎」

「子が親を選べないように、小説もその創造主を選べないのだなあ。可哀想なこと」

「どうする?通訳役を追加するか?いや、ダメだな。ラブシーンがコメディになるぞ」

「バカ探偵と金髪美人の歯の浮くようなやり取りを謎の通訳が介するなんて、間抜けだもんなあ」

「じゃあ、探偵は通信教育で英語を習ったってことで…」

「無理やりすぎて読者は大笑いだ」

「チクショウ。なら、金髪美人が日本語を話せる。しかも行動を共にする彼女が通訳役だ。これならどうだ」

「及第点。多少無理はあるけど、まあ、理屈は通っている。良かったね、奈津実君。今回もギリギリ助かったじゃないか」

刑部は上機嫌にソファーで寝返りを打った。鼻歌まで歌っている。私が失敗するのが愉快で堪らないと言った様子だ。

しかし、私は知っている。散々にこき下ろしてはいるが、彼が私の著作を全て発売日に購入して、さらにはその日のうちに読んでいることを。付け加えるなら、作者である私よりも読み込んでおり、設定から何からまで完全に網羅していることを。アララ、付箋まで貼っている。私はバレないようにだらしなく頬を緩め、本棚に本を戻した。

その時、窓ガラスが大きく音を立てた。驚いて刑部の顔を見ると、彼も何事かと窓の方を見ている。窓ガラスの外はちょっとしたベランダのようになっている。よく見ると、何かヘンテコな形をしたものが転がっているのがわかる。私は窓を開けて、吹き込んでくる雨粒でビショビショになりながらその異物を手にとってみる。招き猫だった。

「おい、刑部。見てみろよ。招き猫が飛び込んできたぞ。相当大きいぞ、この台風様は」

「ちょっと、奈津実君。そんな濡れた格好で歩き回らないでくれ。君は野良犬より汚いんだから。汁が飛ぶ」

罵詈雑言を飛ばしてくる刑部を無視し、タオルを物色する。汁とはなんだ汁とは。人を虫のように扱いやがって。

洗濯物の山からタオルを引きずり出し、髪を拭くついでに招き猫も拭いてやった。

「しかし、招き猫がベランダに飛び込んでくる。こいつはまた、ミステリな日常、いや、日常の謎とでも呼べる出来事じゃないか」

私はワクワクした気持ちで招き猫を刑部に放った。意外にも招き猫は軽く、力を込めなくても簡単に飛んだ。まあ、そうでもなければ、台風だとしても、ベランダに飛び込んでくることなどあり得ないか。

「推理合戦でも原稿の休憩がてらやってみるか」

私は浮かれて提案したが、刑部は退屈そうに招き猫を撫でるだけだった。

「サボりたいだけと見えるね。真面目にしなさい。こんなものはね、奈津実君。台風が来てるっての言うのに店先に出しぱなっしにしていた間抜けな定食屋からでも飛び込んできたものさ」

「なんで定食屋だってわかるんだい」

「作家なんだからつまらん雑学くらい沢山知ってる筈だろう。招き猫が左手を挙げている。商売繁昌の福を招く印だ。明日、近くの定食屋を当たって、のれんの上がってない店に届けるといい。それがその間抜けな定食屋の筈だからね」

「おいおい。商売繁昌だから定食屋って、かなり杜撰な推理だぞ。それになんだ?のれんの上がってない店って」

「台風が来てるってのに招き猫を店の中にしまわない間抜けだ。のれんもしまうまい。吹き飛ばされている筈だ」

「雑だなぁ。ロマンを感じない」

「現実とは概ねそういうものだ。君もいい加減推理小説家なんてあこぎな真似はやめて、市役所にでも務めるといい」

探偵事務所を経営している馬鹿に言われたくはない。

「おや、また何か飛んで来てるね」

刑部は窓を指差した。見ると確かに窓ガラスに一枚の紙がぺったり貼りついている。雨でびしょ濡れだが、なんとか読むことができる。ピザ屋のチラシだった。よく見ると、端に割引券が付いていた。

「ピザの割引券だ」

今度は雨に濡れないよう小さく開いた窓からチラシを取った。刑部は興味なさそうにそのチラシを手に取り、携帯電話を取り出した。

「ピザでも取ろうか」

「腹が減っているのか?僕が作るぞ」

私の趣味は料理だ。それなりに味に自信もあるし、刑部もそのことは知っている筈だ。

「駄目だ。僕はピザが食べたくなったんだ」

「いや、しかし、この台風の中、届けさせるのも悪いだろ」

「僕がピザと言えばピザなんだ。僕はもうお腹ペコペコのペコちゃんだ! 文句があるなら君は冷蔵庫のチキンラーメンでも食えばいい。ただし、僕は優雅にピザを食べさせてもらうけどね」

駄目だ。悪い癖が出た。

こうなると刑部は自分の意見を曲げない。

「バイト君も可哀想だが、ピザ屋でバイトすることを選ぶからこうなるのだ。僕なら迷わず探偵事務所でバイトをする。何故なら探偵が一番偉い。誰かに傅く必要がない唯一の職だ」

もう既にコールを終えたらしく、刑部は電話口でミックスピザのLサイズを注文していた。どうせあのピザの会計は私になる。損するのも嫌なので、私は何も言わないことに決めた。

「そうだ。奈津実君。冷蔵庫の中にビールが入ってるぜ。この僕に感謝しながら飲むといい」

刑部は思い出したように立ち上がり、冷蔵庫を勢いよく開けた。

「なんだ。珍しいな」

刑部は下戸だ。アルコールは全く口にしない。その刑部が冷蔵庫にビールを用意するなどどういうことだろうか。

「大家さんがね、お歳暮の余りをくだすったんだ。僕は飲めないからね、断ろうとしたんだが、ほら、うちには君という迷惑者がいるじゃないか。特に理由もないのに訪ねてくる暇人が。だから、この僕が親しみを持ってビールを冷やしておいてあげたのさ。友を思う僕の懐の深さを刮目せよ」

たかがビールで大袈裟だなと思うが、わざわざ私のために保管してくれていたらしい。ありがたく頂戴する。

タブを開けるとガスの音と黄金色の恵みが溢れて来た。私は満面の笑みでそれを口にする。美味い。やはり、執筆中のビールほど美味いものはない。

「苦くないかい?」

「苦いさ」

「そうかい。苦くないなら一口貰おうとしたんだけどね。苦いならいいや。おっと、また何かが飛んで来たね。どうも僕の事務所は異界と繋がっていると見える」

そう言って刑部はベランダへと向かう。窓を開けるとちょうど勢いよく雨が吹き込んできて彼は一気に濡れてしまった。

「今度からは下僕にやらせよう」

不機嫌そうに言っているが、下僕とはまさか、私のことではあるまいな。

「なんだ。花じゃないか。面白くもない」

刑部は手のひらから数個の花を落とした。

「面白くないとは言えないだろう。すごくヘンテコな漂流物だ」

「作家先生にとっては物語的で魅力かもしれないがね、こんなものは品性のかけらもないシロモノさ」

「バカ言え。これはあれだ。ある男が婚約者の誕生日に買ったものだ。この雨だ。どこの花屋も閉まっているはずだ。なのに、彼は婚約者のために都内中を走り回っているんだぜ」

「君ね、今時そんな古臭いメロドラマみたいなことする酔狂な奴がいると思うかい?この調子じゃあ次回作もきっと売れないだろうね。アバンチュールなんて書けやしないよ」

私は刑部を無視して、この雨の中走り回る男の姿を思い描いた。

「この台風の中、恋人に花を届けようとしてるんだ。何故かって?今日しか彼女の誕生日はないからさ。彼にとって台風なんてものは意味のない障害なんだ。ロマンチックじゃないか」

「びしょ濡れの濡れ鼠がインターホンを押して、ボロボロの花束を手渡して来るんだろ。それはラブロマンスとは程遠い。ホラーだぜ、ホラー」

「だったら、お前の推理を聞かせてみろよ。この花はどこからやってきたんだよ」

「パチンコ屋だろう」

「パチンコ屋?」

「この間、近くにパチンコ屋が新装開店したんだ。新装開店というと、例のどでかい花輪が届くだろう。あれはね、縁起物だから、しばらくの間飾るものなんだ。パチンコ屋はね、たとえ台風だろうが大雪だろうが基本的にオープンしているものだ。客がそんな時でもやってくるからね。つまりは、その花輪が風に乗ってこんなところまで飛んできたって訳さ」

刑部の推理に私はがっかりした。二度にわたってミステリな日常が台無しだ。私は熱心にノートパソコンに向かい合った。くそう。私が最高のミステリを生み出してやるからな。

「おや、また何か入り込んで来たな」

刑部は愉快そうに私の顔を見る。濡れたくないのだろう。私に取りに行けと指示を出す。私は三度、ベランダに舞い戻った。そこにはなんの変哲も無いただのレインコートがあった。

「あーあ、最後の最後に大外れだ。ただのレインコートだよ」

私は残念の表情で刑部に向き合った。しかし、刑部の表情は意外にも興味深そうなものだった。

「レインコートだと?そいつは妙だな」

さっきまでのやる気のなさとはうって変わって、刑部は体を起き上がらせている。

「おいおい。台風だぞ。レインコートなんて誰もが着ているだろう」

「君は本気で言っているのか。いくら台風でも、着ているレインコートを引っぺがす強風があると思うかい?」

「それはそうだが……。レインコートを干していたんだろう。そしてそれが飛ばされた。何も不思議じゃ無い」

「干していた。勿論、そうだろう。しかし、そうなると尚更不可思議じゃないか?昨日、一昨日、この都内は快晴だっただろう。いつレインコートが濡れる機会があるって言うんだ」

「今朝使ったのかもしれない」

「はぁ……。とことん間抜けだ、君は。そこまで行くとオロカだよ、愚鈍な亀も君よりはマシな脳みそをしているはずだ。どこの世界に雨が降っているのに、外に洗濯物を干す馬鹿がいるんだ」

「じゃあ、それ以外にどういうことが考えられるんだ」

「そうだね。昨日、一昨日は快晴だった。そして、雨は今朝から降った。レインコートは干されていたものが飛んできた。この要素から考えられるのは、《昨日、一昨日の間に、雨以外の理由で、レインコートが汚れ、洗濯をする必要があった》という理由だ」

刑部のただならぬ様子に私は息を飲んで見守った。まだ答えを出せないでいる私に、刑部は顎でテレビを指した。テレビではまだ通り魔のニュースをやっていた。

「おいおい……。まさか、お前」

「雨の降っていない日にレインコートが汚れる。それは例えば、《返り血》だったりはしないか?」

刑部の言葉は私に大きなショックを与えた。確かに。確かに理屈は通るかもしれない。

通り魔が返り血予防、もしくは顔を隠すためにレインコートを着て犯行を犯し、返り血のついたレインコートを洗濯して、干した。その時は雨も降っていなかった。しかし、今朝になって進路を変えやってきた台風に干されたレインコートが飛ばされ、今、ここのベランダにたどり着いた。無理のある推理といえばそれまでだが、納得はいく。

「さて、どうしたものか」

刑部はレインコートをつまみ上げ言った。

「このまま、警察に提出するのが一番いいが、そうだな、もう少し推理してみれば天才名探偵の僕になら、犯人の居場所まで明らかになるに違いない」

「おい、無茶を言うんじゃ」

ピンポーン。

私の忠告を遮るように、インターホンが鳴った。

「ピザの配達に参りました〜」

「おや、グッドタイミングだ。本格的な推理の前にまずは腹ごしらえだ」

ドアを開け、ピザ屋の店員を迎えいれようとした刑部の手が止まった。店員があまりにもびしょ濡れだったからだ。

「ねえ、君。馬鹿なのかい?なんでなんの装備のない剥き出しのまま配達に来ているんだ?なんだかこちらが凄く気にしてしまうじゃないか。やめてほしいなあ、そういう抗議のやり方」

刑部は頭を掻きながら店員に不満を言った。

「いや〜、参りました。配達途中で、スーツ姿の男性が花束を撒き散らしまして、すごい焦ってましたから、きっと大切な人との約束があるんでしょうなあ。でね、その花が僕のレインコートに入ってしまって、それを取ろうとレインコートを脱いだら風で飛ばされてしまいまして……って、おや?そのレインコートは僕の」

「みなまで言うな!!!!!!!!!!」

絶叫だった。

事務所内に反響する刑部の怒声。彼の肩はわなわなと震えている。

「つまり、あれかい?僕の推理は全然全く合っていなかったということかい?この名探偵である僕の推理が。しかもよりによって、この愚鈍な亀の推理がひとつ正解しているじゃないか。いい加減にしろ、しまい目には泣くぞ」

「えーと……なんのことでしょうか」

店員はあまりの剣幕に怯えてしまっている。私は彼にピザの代金を支払い、刑部をなだめようとした。

「まあまあ、ただのお遊びの推理ゲームにそこまでムキになるなよ」

「黙れ!凡夫!あー、なんてことだ。奈津実君に負けるなんて。僕は奈津実君以下だ。それはつまり、カタツムリと同程度だ。マイマイカブリに食べられてしまう。こんな屈辱あってたまるか」

タツムリって……。仮にも友人になんてことを言うんだこいつは。

「おや、その招き猫は当店のものでは?」

黙っていればいいのに、店員はソファに置かれた招き猫を指差す。

「なんだと?!これ以上僕の推理を否定するのか君は!!なんでピザ屋が招き猫なんて飾るんだ。恥を知れ。ナポリを思え」

店員の首を摑みかからんばかりの勢いで刑部は暴れている。

「そ、そんな。だって、当店の名前が『まねきピザ』なんですもの。仕方ないじゃないですか」

「うるさいうるさい。改名しろ。それか店を畳め。奈津実君、君、推理作家ならショベルカーの免許くらい持っているだろう。今すぐこのピザ屋とうちのベランダを解体したまえ。諸悪の根源を絶つぞ」

「お前は推理作家をなんだと思っているんだ」

「今に見ていろ。僕はこれから探偵修行に出かけるぞ。そこらかしこの殺人事件に顔を突っ込んで、全部解決してやる。流しの名探偵だ。奈津実君、しばらく留守にするからな」

「頼むから他の人に迷惑をかけるのはやめてくれ。な?落ち着いてピザでも食べよう。お前は腹が空いているだけだ」

「黙れ!敗北の胃にそんな脂っこいものが収まるか!一人で食っちまえ。そして醜く太れ、奈津実君のバカ」

事務所には刑部の怒声が響き渡っていた。

 

 

 

台風一過。

台風は過ぎ去り、雲の隙間から優しげな太陽の日差しが覗いている。私は目を細めながらビールを啜った。

しかし、どうやら。

「ふざけるな。僕は今すぐ割腹自殺をしてやるぞ。三島由紀夫の再来だ。道を開けろ。市ヶ谷駐屯地はどちらだ?」

「落ち着いてくださいお客さん」

「うるさい!僕は今とてつもない恥を感じているのだ。それが君にはわかっていない。くそう。僕の推理は完璧なんだ。それをお前が台無しにしたんだ。チクショウ」

こちらの台風はまだ過ぎ去るのに時間がかかりそうだ。

玄関口で店員に摑みかかる刑部から目を逸らし、私はミックスピザに手をつけた。

テレビには通り魔が逮捕されたニュースが流れている。

 

 

 

「平和だなあ」